抜海駅の看板、こんなにハゲてたっけ?
4年ぶりに抜海駅を訪ねて、こんな違和感を感じました。
抜海駅といえば、廃止の危機に直面しつつも、2023年度の存続が決まった秘境駅です。
このブログでは、そんな秘境駅と駅備品についての情報をご紹介します。
2018年、抜海駅の看板はしっかりしていた
古い木造駅舎が素朴な印象の抜海駅には、ユニークな方法で書かれた看板があります。
貝のような白いものを寄せ集めて、まるで点描のように「抜海駅」と書かれているのです。
2018年に初めて訪ねたときには、写真のとおりきれいに抜海駅と書かれていました。
ところが…
むしって持ち帰る人がいるのでは?
2022年、抜海駅のシンボル的な看板を楽しみに再訪してみると、どう見てもハゲかかっています。
しかも、手が届きやすい「海」や「駅」の一部が集中的にハゲていますよね。
記念にむしって持ち帰る人がいるのでは?
直感的に、そんなことを考えてしまうようなハゲ方です。
駅のものを持ち帰るのはダメですよね!
駅の備品を持ち帰ることは当然ダメです。
それなら看板の一部をむしることもダメでしょう。
ほんの少し持ち帰るだけなら…と大勢の人が同じことをしたら、大切な駅名標はハゲて読めない状態になってしまいます。
なんで抜海駅の看板の一部を持ち帰るのかな?
抜海駅に廃止の話が出ていることと関係がありそう!
もし記念に持ち帰る人がいるのだとしたら、単純に秘境駅であることだけが理由ではないでしょう。
抜海駅の詳細をご紹介します。
抜海駅について
抜海駅はJR宗谷本線の駅で、日本最北端の無人駅です。
これより北には南稚内駅があり、次は終点の稚内駅となっています。
南稚内駅も稚内駅も、電車の本数は少ないものの、それなりに人の気配がある駅です。
抜海駅は実質、最北端の秘境駅といえるでしょう。
100年近い歴史のある日本最北の無人駅
抜海駅は、2024年6月に100周年を迎えるということなので、かなり歴史のある駅です。
駅開業が1924年(大正13年!)で、木造の駅舎はそのときに建てられました。
抜海地区が集落としてにぎわっていた時代には、たくさんの住民が抜海駅を利用していたようです。
いまの抜海駅しか知らないと、最盛期の雰囲気は想像もできません。
近年の駅利用者は、1日平均2.6人。
ここまで利用者が減っても、住民の方々からは駅廃止に反対する声があがっています。
どれだけ地元から愛されている駅であるかがわかりますね。
廃止になりかけるも延長!
そんな地元の方々の働きかけで、ひとまず抜海駅は存続することになったのでした。
2019年から廃止の話は出ていましたが、稚内市が維持費を負担するなどして存続してきたのです。
しかしその費用負担も2023年で終わることになったようなので、再び瀬戸際となっています。
2023年5月に、その後どうなるかが決められるということです。
さらに駅が存続することを願うしかありません。
本当にあと少しで100周年を迎える抜海駅。
なんとかそこまでは存続してほしいと願う秘境駅ファンは少なくないはずです。
抜海駅はロケ地としても有名なスポット
抜海駅は、映画「南極物語」やドラマ「少女に何が起こったか」などのロケ地になっています。
そんな有名な作品に登場した駅ということも、存続を願う声が多い理由の1つなのでしょう。
大正時代に建てられた木造建築の、独特な香、雰囲気…
いちどでも抜海駅を訪れた方は、駅舎の圧倒的な存在感に魅了されるのではないでしょうか。
そのことを証明するように、駅の存続を願う声は日本全国から届いているということです。
「国内最北の秘境駅」として知られるJR宗谷線「抜海(ばっかい)駅」の存続を願う声が、北海道稚内市に全国から寄せられている。
「最北の秘境駅」存続願う声・声・声 どうする稚内市
実際にあった事例
駅廃止や線路廃線となると、駅備品を持ち帰る人が現れるのは、残念ながらよくあることです。
JR根室線の上厚内駅廃止のときも、駅名標がやられてしまいました。
廃止の話が出ると、記念品を持ち帰ろうとする人が現れるのです。
鉄道ファンなんだろうけど、残念な話だよね…
まとめ
抜海駅の看板は、ただ自然にハゲてしまっただけなのかもしれません。
それに、だれかが駅名看板をむしっているところを、目撃したわけでもありません。
でも、2019年に他の方が書いたブログを見てみると、抜海駅の看板はまだ元気にしているのです。
秘境駅として注目度の高い抜海駅が廃止される前に、なにか持ち帰ろうと考えた人がむしったのでは…
やはり、そう疑ってしまいます。
確かに抜海駅は貴重な存在ではありますが、ダメなことはしてはいけません。
なにより遠方から来る鉄道ファンが、がっかりしてしまいます。